星野監督と中村武志の壮絶エピソード
記念すべき1回目 星野政権、就任2年目の秋の秋季キャンプでの出来事。 ホテルのエレベーターで星野監督と会って、下の階のボタンを押したら殴られた。 監督の部屋は当時、最上階にあったのですが、自分の部屋が下の階にあるので、自 […]
今中慎二を追いかけて
若き今中慎二の投球には魅力がありました。糸トンボの様な細い体から、繰り出す速球と、100キロ台のスローカーブで打者を圧倒し、奪三振を奪う。 1993年には249イニングを投げ247個の三振を取った年がありました。もう一つ […]
高木守道さんの思い出
私の知る現役時代の、高木守道はもう晩年でしたが、盗塁のセンス、守備は抜群でした。それでいて、決してホームラン打者ではないのに、4打席連続ホームランという離れ業も。そして、引退試合の東西対抗戦で、江川卓からホームランを打つ […]
山本昌のスクリューボール誕生伝説①
アイク生原との出会い 当時の星野ドラゴンズは、フロリダのベロビーチにドジャースと提携をしてキャンプを行っていました。 ところが、そのキャンプ打ち上げ後、チームは日本に帰国しましたが、山本昌はベロビーチに残されました。実際 […]
山本昌のスクリューボール誕生伝説②
そのボールは野手とのキャッチボールから生まれた あのスクリューは投げられない ある日、生原がドジャースの往年の名投手、サンデー・コーファックスに山本のピッチングを見せたところ、「アイク、あのピッチャーはだめだよ。サイドス […]
捕手のイメージを変えた中尾孝義
全盛期の江川にカーブを投げさせた男 兵庫県の滝川高校時代に、作新学院の江川と練習試合で対戦しましたが、この時に 練習試合という事で、直球しか投げなかった江川に対して、粘ってファウルばかり打つので、江川がカーブを投げました […]
竜の初代セットアッパー落合英二
右肘にサファイアを埋め込む 元祖中継ぎエース。第二次星野ドラゴンズ政権の中で、セットアッパーという言葉は落合英二から生まれました。 大学時代は、ドラフト1位指名確実の有名な投手でしたが、大学4年時に右肘の骨折の大怪我をし […]
投手分業制を確立した近藤貞夫
昭和の野球、いやひと昔前の投手は先発完投が当たり前の時代でした。その常識を覆したのが近藤貞夫でした。 1961年、セリーグを制したのは巨人でした。巨人と優勝争いをして、わずか1ゲーム差の2位が中日ドラゴンズでした。その立 […]
背面投げのエース小川健太郎
技巧派 1964年30歳で中継ぎ投手の補強としてドラゴンズに入団しましたが、元々、投手として東映フライヤーズに入団していました。紆余曲折もあり退団しその間、社会人としてプレーしていました。 こ […]