中村武志伝説

当時のドラゴンズは、中尾孝義というレギュラー捕手がいましたが、怪我が多く欠場することが度々ありました。そこで3年目の若き中村武志は春のキャンプで星野仙一から強化選手として指名されました。

練習前にもう泥だらけ

そのキャンプで彦野利勝の話によると選手が来てこれからウォーミングアップと言う時に、1人だけもう泥だらけになってノックを受けていたそうです。それから、チームの全体練習に入るのです。

結局このキャンプでは、ずっと、バッティング練習がありませんでした。しかし、皮肉にもその年の一番打率が良かったそうです。

潰れてもいいから、練習をさせろ

沖縄キャンプは、2人で一部屋を利用することになっていましたが、中村が宿舎にチェックインするときに、同室の選手が誰だかわからず、部屋に入ると中に入るとバッテリーコーチの加藤コーチが出てきました。そう、練習後も部屋でキャッチャーの勉強をするためでした。

星野仙一は、島野ヘッド、加藤バッテリー両コーチに伝えていました。「体が壊れてもいいから、練習をさせろ」。

勝ち負けではなくて、今日1日をどう乗り切るか

シーズンが始まると、これが若き中村の1日の目標でした。打席に入る前に、星野監督にボコボコにされて、ヘルメットもグローブもつけずに打席に入って、ふてくされてプロ初ホームラン。「やらないとあいつは打たん」と星野監督の弁。

審判、相手チームからも同情

ある試合で、マスクが被れなくなるほど顔が腫れて、ボコボコにされたこともありました。

審判に、唇から血が出てる、ユニフォームに靴の跡が付いているぞ。お前のところどうなっとるんだ。挙句の果てに審判から同情される始末。「頑張れよ」と言葉をかけてもらうことも…。

当時の雑誌には、中村捕手が相手打者に「そろそろ、体の近くに行きますよ」と言葉をかけ、避けるようにアドバイスをしたことも。相手チームからも同情されることがあり、「そろそろ来るよな」ベースの一番後ろに立ち、ベースからなれ過ぎてしまって、審判から「いい加減にしたらどうだ」と注意を受けたこともありました。

そして星野監督の奥さんからは謎の誉め言葉

「タケシくんいつもありがとうね 主人は “今日もタケシを殴ってやったわ“とあなたを殴った日はとても機嫌がいいのよ」 星野監督の奥さんにも謎の感謝をされたそうです。

3年目の広島戦で、盗塁を刺し、自ら勝ちこしのタイムリーヒットをセンター前に放ち勝利した若き中村武志のことを今も覚えています。その時、勝利してベンチに向えた時の星野監督の笑顔が最高でした。

個人的には、オープン戦で、大分のホテルにドラゴンズが宿泊した時に、私の勤めていたレストランに食事にやってきて、ザーサイを何度もお代わりされた記憶があります。一人で黙々と食事をしていましたね。

ナゴヤ球場のジャイアンツ戦で、敗色濃厚の終盤に木田投手から同点満塁ホームランを打った時のベンチに向ってのガッツポーズ。そして延長で再び、槇原投手からサヨナラホームランを打った試合が印象に残っています。

若き日の中村武志の気持ちのこもった全力プレーは大好きでした。

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