ドラゴンズで一番足の速かった選手は誰か?

美男子の本多逸郎

1953年からレギュラーになり、日本一に輝いた1954年には打率297で打撃成績10位に入って注目され、翌年の42盗塁で盗塁王を獲得しました。筆者はまだ生まれておらず、映像も残っていないので、足の速さは確認できませんが、通算で170盗塁を重ねました。引退後は二軍監督やコーチを歴任。美男子として有名でしたが、後年は少年野球の指導に打ち込みました。

1試合で6盗塁の山崎善平

山崎善平が1試合で6盗塁を記録。1952年6月3日、門司で行われた大洋とのダブルヘッダー第2試合でホームスチールを2度決めるなど、1試合6盗塁の大記録。3回にセンター前にタイムリー後に2盗を決め、本多の1塁ゴロで3塁へ進むと本塁へ盗塁を決めました。7回にも同じようにセンター前にヒットを放つと、2盗を決め、次打者の内野安打で3塁へ進むと、再び本盗。9回に四球で出塁すると2盗、3盗を決めました。

この頃のドラゴンズの外野手は、センター山崎、レフトには強打の杉山悟、そしてライトには原田督三がいました。 その原田 はプロ入り後、すぐに2番打者としてレギュラーを獲得。俊足で通算203盗塁。しかし、原田の魅力は何と言っても強肩。1950年には21補殺を決め、ホームイン殺しには定評がありました。

話がそれましたが、「この50年代で一番足が速かったのは岡嶋博治だったのではないか?」と私の親父の弁。

1イニング3盗塁の岡嶋博治

岡嶋博治は当時によくあるケースで、立命館を中退してドラゴンズに入団。168cmの小柄から体をいっぱいに使って長打を放ち、1957年には15本塁打。翌年も16本塁打を放ち47盗塁で盗塁王に輝きました。ファイト剥き出しのプレーはファンの共感を呼びました。61年に阪急にトレードで出されましたが、1イニング3盗塁を記録して韋駄天ぶりを発揮しました。

その岡嶋の後継者は、中利夫が50盗塁を決め盗塁王に輝き、そしてミスタードラゴンズ高木守道が登場。初打席初ホームランを放つと、レギュラーを獲得。中利夫との1、2番コンビは球団史上に残るツートップ。高木守道は同じ50盗塁で盗塁王を獲得。通算で3度の盗塁王に輝きました。しかし、俊足というイメージはなく、盗塁が上手いタイプでした。

送りバントの谷木恭平

足の速さだけだったら、「2番谷木が送りバント~」の谷木恭平の方が足は速かった。そして、塁間の速さなら、ウイリー・デービスがドラゴンズ史上ナンバーワン。元、メジャーの盗塁王で、ドラゴンズに入団したのは晩年でしたが、塁間を8歩で走ると言われ、中日球場でジャイアンツ西本から打った満塁ランニングホームランは伝説となりました。

1980年代は平野謙。盗塁王も獲得しましたが、失敗も多く、足の速さはありましたが、盗塁の上手さは感じませんでした。そして俊足選手はしばらく現れず、荒木、井端の入団まで待つことになります。

大島洋平のスパイク 野球殿堂博物館所蔵

そしてアライバの登場

ドラゴンズ史上最強の1、2番コンビで黄金期を支えました。しかし、このショート、セカンドの名コンビもデビュー当時はレフト井端、センター荒木だったから驚きです。

落合ノックで鍛えられ6年連続ゴールデングラブ賞を獲得。落合監督からは絶対にヘッドスライディングはするなと釘を刺され、その荒木がその気になった時の走塁は「神の領域」。

しかし、盗塁技術は井端の方が上でした。まさに井端は野球センスの塊。

高松よりも三好の方が速い

そして、現在は大島洋平、京田諒太へと引き継いでいますが、大島はもうベテランの域に達し、京田の盗塁に対する意欲がもっと欲しい。昨年、足で魅せた、新鋭の今年5年目の高松渡がレギュラーを掴んだら面白いですね。

でも実は足だけなら、2年目の三好大輪の方が速いそうです。

そして、結論ですが、ドラゴンズ史上で一番足の速い選手は誰か?の問いに関する答えは?

私の知る限り、足の速さだけなら、荒木が一番。そして、盗塁を盗む技術なら高木守道で決まりですね。

参考文献 中日ドラゴンズ70年 昇竜の軌跡 ベースボールマガジン社

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