中日ドラゴンズの竜は西洋の竜だった?

日本のプロ野球の誕生に尽くした鈴木惚太郎の発案で、日本プロ野球連盟から各球団にチーム名にニックネームつけるよう、要請がありました。

そのニックネームを付けるにあたり、当時の中部日本新聞社社長の杉山虎之助の干支が辰だったので、ドラゴンズになった事は有名な話です。

当然、干支の竜なら、東洋の竜を想像するのは普通の事ですが、しかし、プロ野球創世記の球団旗に描かれていたドラゴンの絵は、何故か西洋の竜の絵でした。

西洋の竜と東洋の竜の大きな違いは、西洋の竜は足がはっきり描かれて、しかり地面についていますが、東洋の竜は足が小さくどちらかと言うと、蛇に近いようです。

選手のユニフォームの左袖口に刺繍が入っていますが、当時の刺繍に描かれている竜は、赤い舌をチョロリと出していて、四ツ足もしかりついています。しかし、これが観客のスタンドからは全く見えなくて意味がありませんでした。

当時の主力選手の清水秀雄は「図柄そのものよりも、竜が足を出しているのが良くない、足を出すという事は勝負するものにとって禁物。初めから足を出しているようでは勝てないからね。」と語っているところをみると、当時の西洋の竜の概念が、選手に伝わっていないことになります。

しかし、そんな昔に、西洋のドラゴンを描こうとするなんて、なんという斬新なアイデアでしょう。

そして、中日ドラゴンズが、今の東洋のドラゴンに変わっていくのが2リーグ分裂後の1951年頃となり、球団名も名古屋ドラゴンズとなりました。それに伴い球団旗のデザインも変わりましたが、この旗に描かれていたドラゴンは顔の部分だけでした。

これもなかなかモダンなデザインでしたが、何故か「顔」だけが描かれたドラゴンでした。

こうやってみると、中日球団のデザインは当時の時代背景から考えるとかなり、斬新で最先端をいくセンスだったように思えます。

しかし、昭和30年代のドラゴンズのユニフォームはカッコ良かった。もちろん私はまだ生まれていませんが、昔の映像、写真などをみると、黒字のロゴに白くてシンプルな、あのだぶだぶなユニフォーム。権藤博が特にカッコいい。

参考文献  2007年 週刊ベースボール4月23日号

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