面白エピソード
中日ドラゴンズの竜は西洋の竜だった?

日本のプロ野球の誕生に尽くした鈴木惚太郎の発案で、日本プロ野球連盟から各球団にチーム名にニックネームつけるよう、要請がありました。 そのニックネームを付けるにあたり、当時の中部日本新聞社社長の杉山虎之助の干支が辰だったの […]

続きを読む
忘れられない出来事
カープファンと選手の大乱闘

1975年9月10日の広島市民球場で行われた広島カープ対中日ドラゴンズ戦での出来事。 首位カープは初優勝に向けて、3ゲーム差に迫って来たドラゴンズを迎えての大事な一戦でした。 真空とび膝蹴りを見舞った宮本 この年の広島中 […]

続きを読む
最新コラム
洲崎球場を訪ねて

歴史に残る大ホームラン この洲崎球場で行われた「伝統の一戦」で、歴史に残る大ホームランが生まれました。 昭和11年12月。巨人―阪神の優勝決定戦の第三戦、景浦は沢村からレフトへ大きな放物線を描き、楽々とスタンドを越えて、 […]

続きを読む
最新コラム
日本のプロ野球チームが初めて試合を行った鳴海球場

プロ野球の歴史の1ページ 昭和11年(1936年)2月9日この鳴海球場で、日本で初めてプロ野球チームの公式戦の試合が行われました。 数日後にアメリカ遠征を控えた巨人と名古屋金鯱軍との「巨人渡米送別試合」との一戦。 金鯱軍 […]

続きを読む
最新コラム
ブライト健太の背番号は42番

ドラフト1位のブライト健太の背番号は42番。この背番号はメジャーリーグ初の黒人選手ジャッキーロビンソンの背番号です。ジャッキーロビンソンは、人種差別と闘いながら、さまざまな苦難を乗り越え、後から続く黒人選手のパイオニアと […]

続きを読む
追憶のドラゴンズ
スーパールーキー森田幸一

ドラフト5位の子連れルーキー 森田幸一の決め球は、今では当たり前に誰もが、使う変化球チェンジアップ。 しかし、ひと昔前は、チェンジアップを投げるピッチャーはあまりおらず、フオークいや、スプリットフィンガーファウストボール […]

続きを読む
最新コラム
キューバの野球事情とドラゴンズ

昨年(2020年)ソフトバンクのリバン・モイネロが東京オリンピックのアメリカ大陸予選出場の為にキューバに帰国することがありました。「この大変な時期に離れるのが申し訳ない、戻って来た時には、いいパフォーマンスが出せる様にし […]

続きを読む
最新コラム
今年の新人王はハイレベル

栗林良史が新人王に輝きました。 0勝1敗 防御率0.86 37セーブ特筆すべきは、セーブスチュエーションで登板して失敗が一度もない事。しかも、被ホームランは最終戦で打たれたヤクルトの宮本丈のただ1本。しかも、栗林は侍ジャ […]

続きを読む
最新コラム
トリプルスリーを目指せ京田

5年連続100安打を放ち、規定打席にも到達し、谷沢健一以来の成績を残しましたが、残念ながら年棒6400万、300万円ダウンとなり、契約更改しました。 京田選手は、プロ入り後、大きな怪我もなく、ショートのレギュラーとして5 […]

続きを読む
青竜のレジェンド達
山本昌のスクリューボール誕生伝説①

アイク生原との出会い 当時の星野ドラゴンズは、フロリダのベロビーチにドジャースと提携をしてキャンプを行っていました。 ところが、そのキャンプ打ち上げ後、チームは日本に帰国しましたが、山本昌はベロビーチに残されました。実際 […]

続きを読む