スーパールーキー森田幸一
ドラフト5位の子連れルーキー
森田幸一の決め球は、今では当たり前に誰もが、使う変化球チェンジアップ。
しかし、ひと昔前は、チェンジアップを投げるピッチャーはあまりおらず、フオークいや、スプリットフィンガーファウストボールと呼ばれる速い、フォークボールを投げていました。
最速148キロの切れの良い速球と、タイミングを外すチェンジアップで三振の山を築き、彗星の如くデビューしました。
衝撃的なデビュー戦
プロ入り初登板は、開幕戦の東京ドームでのジャイアンツ戦、3点ビハインドの7回に登板。しかし、その裏に味方打線が3点取り、5対5の同点になりました。
そして、2イニング目の8回に、自らのエラーも絡んで、1死満塁の大ピンチ。
ここで、バッターは奇しくも、ドラゴンズから移籍の中尾。
ここで、真っ向勝負のストレートで抑え込みたいところですが、子連れルーキーは冷静でした。はやる中尾の気持ちを察して、初球にチェンジアップを投げると、ピッチャーゴロ。
見事、ホームゲッツーでこのピンチを切り抜けると、9回の表に勝ち越し点を奪うとそのまま、開幕戦ルーキ初勝利を飾りました。
41年ぶりの記録
そして、地元本拠地に戻ると、広島カープとの2戦目。
この日も、4対4の大事な場面でのリリーフ登板でした。この頃の星野監督は、ルーキーでも簡単な場面では投げさせません。思えば、前年もルーキの与田を、同点の延長10回に投げさせています。
8回に、ドラゴンズは彦野利勝のタイムリーで勝ちこしの1点を奪いましたが、その裏、カープ、長内選手に同点のホームランを浴びてしまいました。しかし、これから後が凄い。
後続のバッターをすべて三振に打ち取ると、その裏、プロ入り初打席でライトスタンドへホームランを叩き込みました。(41年ぶりの投手初打席本塁打の記録)
そして、次のイニングを抑えて、初勝利を飾る衝撃的な本拠地デビューを飾りました。
星野監督は言いました「男の大小は体で決まるもんじゃない、肝っ玉の大きさだ。」
酷使されるのが当たり前の時代
当時のプロ野球の中継ぎ投手は受難な時代でした。今みたいに、1イニング限定の投手はいません。イニングまたぎは当たり前。リリーフ登板で延長7イニングを無失点で投げたこともありました。
あまりの酷使に、あの、権藤博と比較される程の連投をみせました。
その酷使の影響で4年目に肘を痛め、その後サイドスローに転向、しかし、その後も低迷。
そして、活躍から5年後、戦力外通告。
わずか、5年間の選手生活でした。
まるで、ジェットコースターの様に駆け抜けたプロ野球人生でしが、あの鮮烈なデビューは忘れる事は出来ません。