ブライト健太の背番号は42番

ドラフト1位のブライト健太の背番号は42番。この背番号はメジャーリーグ初の黒人選手ジャッキーロビンソンの背番号です。ジャッキーロビンソンは、人種差別と闘いながら、さまざまな苦難を乗り越え、後から続く黒人選手のパイオニアとして活躍しました。

カラーバリアー

ドジャースのブランチ・リッキー会長兼ゼネラルマネージャーは、黒人選手を探していました。それは強いチームにしたいというだけではなく、人種差別が人を深く傷つける事を目のあたりにして以来、実現させたい夢でした。そして、1945年ジャッキーロビンソンに出会ったのです。

黒い肌をこすり落とす出来事

大学で野球部のコーチをしていた時の事です。ある優秀なチャーリー・トーマスという黒人一塁手がいました。しかし、対外試合に出かけた時に、黒人だという理由でホテルの宿泊を拒否されてしまいました。ブランチ・リッキーは支配人に頼んで簡易ベットを自分の部屋に入れてもらいましたが、その晩夜遅く、トーマスが両手をこすり合わせ、まるで黒い肌をこすり落とそうとするかの様に、泣いているのを見ました。

「黒い肌、黒い肌」と言い「この黒い肌を白くすることが出来たら」。この光景を目撃したことでリッキーの心は大きく動きました。

ブランチ・リッキーの40年間の思い

ブランチ・リッキーは不文律の黒人選手を入団させるのにふさわしい時期が来るのを、ずっと待っていました。そして1945年、ついにジャッキーロビンソンが現れたのです。あれからもうすでに、40年の月日が経っていました。その頃、黒人選手は独自の野球リーグ、ニグロリーグでプレーしていましたが、サッチェル・ペイジ、ジョッシュ・ギブソン、ドン・ニューカム(後にドラゴンズに入団)等がいましたが、野球のプレーだけでなく、人格、野球以外での立ち振る舞い、嫌がらせに耐えられるだけの精神力が必要でした。

ジャッキーロビンソンには、それが全て兼ね備わっていました。

「売られた喧嘩を買おうとしないだけの勇気をもった選手が欲しい」とリッキーはロビンソンに言いました。

ロビンソンの役割は重要でした。何故なら、もし、彼が成功しなかったら、黒人選手はもう誰も大リーグでプレー出来ないのですから。

チームメイトさえも認めてもらえない

そしてその時が来ました。1947年ジャッキーロビンソンがマイナー生活を終え、ついにメジャーに昇格したのです。

最初はチームメイトさえも受け入れてもらえませんでした。中には、一緒にプレーしたくないと嘆願書を書く者さえもいました。しかし、彼はプレーで答えてみせたのです。好球必打、アグレッシブで積極的な走塁。ビーンボールを投げられても、セカンドへの危険なスライディングを受け、血を流しても、相手チームからの一体となった汚いヤジにも耐えました。相手チームの汚いプレーに対して真摯に向って行く、そんなロビンソンの姿を見て、ドジャースの選手達が一体となりチームメイトとして受け入れました。

ついに風穴を開ける

自分らしいプレーが出来るようになったロビンソンは、21試合連続安打を放ち、セカンドの守備でも美技を魅せ、ベースランニングで観客を魅了しました。ちなみに、生涯でなんと19個ものホームスチールを決めています。

ドジャースファンはロビンソンのプレーに驚き、価値を認めました。特に黒人のファンに愛され、新しい未来の象徴の存在になりました。ついに、白人だけの世界に風穴を開けたのです。

この最初のシーズンは主に、セカンドを守り、1番打者として,打率.297 12本塁打 29盗塁の素晴らしい成績を残し、この年から正式に制定された新人王に輝きました。

参考文献 ジャッキーロビンソン物語 ちくまブリマーブックス リチャードスコット著

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