洲崎球場を訪ねて

歴史に残る大ホームラン

この洲崎球場で行われた「伝統の一戦」で、歴史に残る大ホームランが生まれました。

昭和11年12月。巨人―阪神の優勝決定戦の第三戦、景浦は沢村からレフトへ大きな放物線を描き、楽々とスタンドを越えて、東京湾に入るとまで言われた、伝説の大ホームランを見舞いました。

そして、その沢村栄治の最後の試合もここ洲崎球場でした。

沢村栄治の最後の出場

昭和18年10月24日、洲崎球場でのタイガース戦。2-2で迎えた11回表、1死1,2塁。                    6番青田昇に代わって沢村が打席に入りました。なんと、沢村栄治の最後の試合出場は代打だったのです。         

「じゃじゃ馬」とよばれた鼻柱の高い青田昇の代打出場で、結果は三塁ファールフライでした。まさか、この時、自分がこの試合が最後の出場になるなんて思わなかったでしょう。

そして、打撃の神様、川上哲治のデビュー戦もこの洲崎球場でした。

その後、沢村栄治は3度目の戦地へ向かう途中、東シナ海沖で魚雷攻撃を受け戦死しました。

上井草球場と洲崎球場しかなかった

日本プロ野球草創期に、1936年に3カ月の突貫工事で作られた球場で、この土地は元々、東京ガスの所有地でした。松竹ロビンスが本拠地球場として使用しましたが、当時はフランチャイズ制がなく東京巨人軍もよく試合をしていました。         

この洲崎球場は最初に、プロ野球の優勝決定戦が行われた球場として伝わっています。

満潮になるとグランドが水浸しに

外野スタンドが海側に向っており、カニが這いずり廻っていたこともあり、満潮になるとグランドが水浸しに、更にスタンドは木造バラックで歩くとミシミシ音がしました。海水が入り込みコールドゲームになることもしばしばありました。

水道橋に後楽園球場が出来ると次第に、試合をすることがなくなり、1943年に解体。

当時の文献によると多くの観客は都電で見に行ったとされ、停留所は現在の東京メトロ東西線の東陽町駅にありました。そして、この洲崎球場の近くには遊郭があり、この洲崎遊郭(洲崎パラダイス)は選手達の多くも通っていました。          

翌日、選手が球場入りするときに、遊郭から女性が手を振っていることもあったそうです。

プロ野球草創期に数々の試合が行われ、多くの文献、書籍に記述がありましたが、あまりにも周りの環境が変貌していた為に、長らくは場所の特定が困難とされていました。ところが、雑誌「野球小僧」の企画によって文献などから調査が行われ、大体の場所の特定することが出来ました。

2005年の2月には、江東区役所が現在のオルガノ本社前に記念碑を建てました。

そして、今現在も球場跡地は水処理メーカーオルガノのビルがひっそり立ち並んでいます。

通りを通る人々は、まさかこの地にプロ野球草創期に、ジャイアンツとタイガースが優勝決定戦を行い、沢村栄治、景浦将らが躍動した野球場があったなんて知る由もありません。

最寄り駅 東京メトロ東西線 東陽町から徒歩5分。

住所 東京都江東区新砂1丁目2番8号 

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