期待の若竜
今年8年目を迎えた小笠原慎之介

ひじ痛との闘いの野球生活 東海大相模高校では1年生に公式戦デビューしましたが、ひじ痛に悩まされ2年生春は1試合登板の登板のみ。ひじ痛が癒えたこの頃から、ストレートの球速が149キロを超えるようになり、注目を浴びました。 […]

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面白エピソード
わずか1試合出場の足木敏郎

選手出場はわずか一試合のみ。1953年に豊川高校からドラゴンズに入団。一試合、右翼の守備についただけ。しかも、試合後に無登録だった事が判明し、球団は厳重戒告されました。翌、54年わずか2年余りで引退。 55年からは、中日 […]

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青竜のレジェンド達
中村武志伝説

当時のドラゴンズは、中尾孝義というレギュラー捕手がいましたが、怪我が多く欠場することが度々ありました。そこで3年目の若き中村武志は春のキャンプで星野仙一から強化選手として指名されました。 練習前にもう泥だらけ そのキャン […]

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ドラゴンズなんでもベストワン
ドラゴンズで一番足の速かった選手は誰か?

美男子の本多逸郎 1953年からレギュラーになり、日本一に輝いた1954年には打率297で打撃成績10位に入って注目され、翌年の42盗塁で盗塁王を獲得しました。筆者はまだ生まれておらず、映像も残っていないので、足の速さは […]

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