サムソン・リー

漢字表記は李尚勲(イ・サンフン)1971年韓国ソウルの生まれ。1993年に高麗大からドラフト1位でLGに入団しました。このサムスン・リーは大学時代に14者連続奪三振というとんでもない記録を作っていました。その剛球は韓国プロの注目の的で、その当時破格の契約金プラス年棒は2億ウォン。日本円にして約3200万円で、韓国プロ野球史上最高の金額で契約しました。

鳴り物入りで入団

鳴り物入りで、飛び込んだプロ1年目は肩痛で途中離脱もあり、9勝9敗。しかし、2年目には18勝。3年目には韓国プロ野球でも5年ぶりとなる20勝を挙げ、2年連続最多勝のタイトルを取りました。しかし、肩に持病があり、投球数を少なくするためにストッパーに転向。ここでも10勝して37セーブで47セーブポイントはシーズン最多記録で最優秀救援投手賞を受賞しました。

韓国ではもはや敵なし

もはや韓国球界では敵なしで、折しもメジャーでパク・チャンホーがドジャースで頭角を現し始め、このサムソン・リーのメジャー移籍をマスコミがあおることになりました。本人も積極的にはたらきかけましたが、レッドソックスが獲得に手を挙げるも、金銭面で折り合いがつかず、LG球団と友好関係にあった事と、宣銅烈が在籍していたこともあって、ドラゴンズが獲得をしました。

肩まで伸びた長髪の風貌から、登録名をサムソン・リーとしました。これは旧約聖書に登場する怪力サムソンにちなんだ登録名でした。

日本プロ野球の洗礼

1998年5月9日東京ドームでのジャイアンツ戦に初登板。1点差に詰め寄った8回の表。逆転に向けてのマウンドでした。先頭打者となった元木大介にいきなり143キロのストレートをレフトスタンドに運ばれ、日本野球の洗礼を浴びました。次のナゴヤドームでのジャイアンツ戦でも、1イニングで5失点の乱調。結局6試合を投げ防御率10.80で2軍降格。

8月に1軍に復帰すると、タイガース戦で6回を2安打に抑え来日初勝利。しかし、初年度はこの1勝のみで、怪力とは言えず残念なシーズンに終わりました。

セットアッパーとして活躍

しかし、1年目のオフ、韓国にかえらずに日本で独自にとレーニングを敢行、そして、低めへの制球力を高め、春のキャンプも順調に調整を重ねました。

その結果、開幕から先発ローテーションに入ると、ナゴヤドームでの横浜戦に先発。6イニングで6四球を出すも無失点で勝利。チームは開幕ダッシュで11連勝が掛かった登板の、ジャイアンツ戦は7回を、高橋由伸に浴びた1発による1失点で、開幕11連勝に貢献しました。この開幕の連勝の勢いのまま、星野ドラゴンズはリーグの頂点を極めました。サムソン・リーは6月下旬以降、先発からセットアッパーに起用され、宣に繋ぐ重要な役割を担いました。

残念なメジャー行き

しかし、おもて沙汰になりませんでしたが、日本シリーズ開幕直前に、メジャー行きを球団に訴え、星野監督がその行動、言動を嫌い、大事なシリーズの登板はありませんでした。

サムソン・リーは翌年、本人の希望通りレッドソックスに入団。しかし、その後の活躍のニュースは日本に入ってきませんでした。

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