なごや弁を操る助っ人メルビンバンチ

メジャーリーグでは、わずか18試合しか登板しておらず、来日前年も、MLBでは、マリナーズで5試合を投げて、10イニングで20安打を浴び、7四球。防御率11.70。

シーズン大半はマリナーズ傘下の3Aタコマで過ごし、21試合登板して10勝2敗で防御率3.10 パシフィックコースト・リーグの1位という、決して優れた成績ではありませんでした。

格安の外国人

格安の条件で契約し(推定2625万円)2000年に日本へやって来ました。

来日当初のオープン戦では打ち込まれることが多く、山田コーチからは「スピードで牛耳るよりも、低めにボールを集めろ」としつこく言われ日本で開花しました。

ノーヒットノーランを達成

バンチの初登板は、開幕2戦目の4月1日ヤクルト戦。

8回2死まで5安打、1四球で勝利投手。

さらに2回目の登板となる、4月7日の横浜スタジアムでのベイスターズ戦では素晴らしいピッチング。

立ち上がりこそ球が高めに浮きましたが、3回以降は150キロに迫るストレートと、スライダー、カーブ、シュートが粘り強く低めをついて、5四球を出しましたが109球でノーヒットノーランを達成しました。

この時はテレビ神奈川でテレビ中継をしていた為、ハラハラして観戦していました。当の本人もテレビ画面から、かなり緊張している様子を感じました。

最多勝を獲得

これで自信がついたバンチは、5月4日のジャイアンツ戦でも、8回1死まで好投、しかし、その後打たれて3連敗を喫しましたが、この年、オールスターまでに9勝を挙げました。

初年度は14勝を挙げて最多勝を獲得しました。

実はバッティングも得意で、通算ホームランを3本放っています。うち1本は広い福岡ドーム開場第一号のメモリアル弾となっています。通算打率も2割を超えています。

なごや弁を操る助っ人

しかし、2002年に不整脈で先発登板を回避すると、この年は結局、7勝しか挙げられず。体調も戻らくなり、そのまま退団することになりました。

時折、インタビューでは、なごや弁で受け答えをして、チームに溶け込み、かたハングリー精神があり、日本の野球に慣れてきていただけに、とても残念に思いました。

当時はネット環境も粗悪で、情報も少ない為、退団に関してはとても不可解でした。そして、不整脈の件は、地元中日スポーツでも報道されませんでした。

ちなみに、この頃抑えで活躍していた、ギャラードとは大変仲が悪かっといううわさです。

20世紀プロ野球 外国人選手 ベースボールマガジン秋季号 平成12年10月1日発行

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