史上最長ノーヒットノーラン達成の山本昌

2006年9月16日、ナゴヤドームで行われたタイガース戦でプロ野球史上84度目、73人目のノーヒットノーランは山本昌。そしてこの記録は佐藤義則の40歳11カ月を2カ月更新する41歳1カ月の新記録、日本プロ野球史上最長ノーヒットノーランとなりました。

四球1人だけの準完全試合

許した走者は、4回のサード森野将彦の失策で許した一人だけの準完全試合。無四球の「準完全試合」は真田重蔵(大洋ロビンス)以来、実に58年ぶり2人目の大記録でした。

立ち上がりから、打たれていない、中盤は、まだ打たれていないな、終盤になると、じゃあやってやろうかな、と言う心理でした。

最後は、赤星憲広を森野がへのサードゴロに打ち取り記録達成。

「失策がなければ…。と残念がる人もいるけど、あのエラーがなかったら逆にどこかで1本打たれている、やれたとしても完封勝利、野球とはそう言うスポーツ」だと、山本は語っています。

それ以上に、大切だったのはこの試合がペナントを左右する大事な首位攻防の一戦でした。

実は、山本は投手コーチの森繫和に伝えていました。「ランナーを一人でも出したら岩瀬に代えて下さい」と。

この試合の模様はテレビで観戦していましたが、コントロールが素晴らしく、キャッチャーの構えたところにビシビシ決まっていました。捕手との息もピッタリでした。

初球に半速球のストレートを厳しいところに投げてストライクを取り、その次の球は前のボールよりも速いボールを甘いところに投げる。すると打者は「打ちやすいボールが来た!」と思って打ちにいきますが、初球よりもボールが速い為に差し込まれて詰まってしまう。このパターンで阪神打線は凡打の山を築きました。しかし、このコントロールがあるからこそ、出来る芸当です。

実は隠し1位の評価

山本昌は、神奈川県日大藤沢高校からドラフト5位の入団でした。プロ1年目の串間キャンプで評価がうなぎ上りで評価を高め、ルーキーの異例のオープン戦先発デビュー。広島に対して7回を3失点の力投、そして教育リーグのタイガース戦では、6回を投げわずか2安打に抑え無失点の好投。大器の片りんをみせました。

当時の田村スカウト部長は、「当然だよ、実は隠し1位の評価をしていたくらい。よく残っていて指名出来たと思うよ」と自慢げに話していました。実際に背番号も34番を付けて、期待はドラフト1位並みの評価をされていました。「ファームに和製バレンズェラ現れる」と話題になった程でした。

しかし、プロは甘くありません。この年、ウエスタンでも1敗1セーブに終わり、もちろん1軍登板はありませんでした。プロ初勝利はアメリカ留学を経て5年目を待たねばなりません。

1988年の8月30日のナゴヤ球場での広島戦でプロ入り初勝利を挙げると、そのまま5連勝で6年ぶりのリーグ優勝に貢献。17勝を挙げ最多勝に輝くのは10年目の1993年でまさに大器晩成の選手でした。

そのウイニングボールは、アイク生原の写真の横に飾ってあるそうです。

想い出のボールをほとんど持っていない山本昌にとって、初勝利、100勝利、200勝利のボールと並んで誇らしい記念品にとなっています。

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