山本昌さん高津臣吾監督野球殿堂入り

2022年1月14日山本昌さん、スワローズの高津臣吾監督の野球殿堂入りの発表がありました。

山本昌は中年の星

40歳で200勝を達成し、41歳1カ月で史上最年長ノーヒットノーラン、49歳25日の史上最年長勝利、引退した2015年にはメジャーリーグでも類のない、50代で登板するなど、偉大なプロ野球記録を作りました。代名詞のスクリューボールを武器に219勝を挙げ、32年と言う長きに渡って活躍しました。

山本昌氏は、おそらく殿堂入りの選手の中で、最も球の遅い投手ではないでしょうか?武器はもちろんスクリューボール。このボールで何度もピンチを救ってくれました。

運命を変えたアメリカ留学

全ては、アメリカ留学でアイク生原と出会ったことが、山本の運命を変えました。ドジャース会長補佐の彼は、マイナーの試合後は、宿舎で反省会。いつも熱心に山本に付き添いました。ボールを上から投げなさい。前でボールを放しなさい。低く投げなさい。ストライクを投げなさい。この4つのことを教えられ、プロ野球選手として基本を叩き込まれました。

指導を受けた最大の恩師、アイク生原さんも、2002年に特別表彰で殿堂入りをしていますが、表彰を受ける前に亡くなりました。

アイク生原さんもきっと雲の上で、この山本昌の殿堂入りにきっと、驚いている事でしょう。

最高の1球は43歳の直球




2008年10月4日のジャイアンツ戦、イ・スンヨプに投げた6球目に見逃し三振に獲った外角低めの人生最速143キロだと語ります。この時すでに43歳でした。最高のピッチングは、ノーヒットノーランの試合ではなく、その2週間後の同じ、タイガース戦。2ゲーム差の首位に迫って来る相手を、8回1失点に抑え勝利に貢献。優勝に突き進むことが出来た試合を挙げました。

野球は中学で辞めるつもりだったのに、たまたま最後の大会でエースが怪我をした代わりに投げ、その投球を見た強豪校から声がかかり、プロに進むことが出来ました。きっと、野球の神様が山本昌を見ていたのでしょう。

カブトムシ飼育箱の土をいじっていた少年はいつしか野球殿堂入りをするような大選手となりました。

スワローズの高津臣吾さんは1991年にドラフト3位で入団。

現役監督のまま殿堂入りするケースはおそらく史上初の出来事ではないでしょうか?

高校、大学ではエースではなく、常に2番手でした。亜細亜大学時代はドラフトで8球団が競合した小池秀郎がエース。何の因縁か、奇しくも小池の意中の球団ヤクルトに入団し、プロ入り後、宝刀シンカーを武器に抑えとして活躍、最優秀救援投手に4度輝き、日米通算313セーブを挙げました。

その後、韓国、台湾、日本の独立リーグでも投げ続け、ヤクルトの監督に就任しました。

2人共、脚光を浴びずにプロ入りし、ここまで登り詰めました。この2人に共通するのは決して速いストレートがあるわけではありません。努力を積み重ね、それをカバーできる技術を磨き、プロ野球の歴史に残る選手となりました。

この2人の殿堂入りは、球速の遅い野球少年に夢と希望を与えました。

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