カープファンと選手の大乱闘

1975年9月10日の広島市民球場で行われた広島カープ対中日ドラゴンズ戦での出来事。

首位カープは初優勝に向けて、3ゲーム差に迫って来たドラゴンズを迎えての大事な一戦でした。

真空とび膝蹴りを見舞った宮本

この年の広島中日戦、特に広島市民球場での試合は波乱含みでした。4月11日には、広島の宮本幸信投手が球審に「真空とび膝蹴り」を見舞って退場。当時のルーツ監督も一度退場を宣告された後に、取り消されるという騒ぎになりました。試合後、中日のバスは100人ほどの広島ファンに襲撃され、フロントガラスが割られ、タイヤの空気が抜かれたり混乱。

5月11日には走塁妨害をめぐる騒動から300人ほどのファンが球場正面に押しかけて投石。ナインが球場内に缶詰にされたこともありました。

3つの死球を与えた星野仙一

この日先発は星野仙一。けんか腰の投球で3つの死球を与え。球場内の雰囲気はどんどん危険になっていきました。

広島打線は9回の裏、星野に襲いかかりました。2-5の劣勢からまず2点を返すと星野をマウンドから引きずり降ろしました。その後、2死2塁の土壇場の場面で、山本浩二が打席にはいると、ラジオ局で聞いていましたが、打たれる予感がしました。この年の山浩二はチャンスに滅法強かったのです。ラジオからもコージコールの応援が聞こえてきました。あの頃の広島市民球場の雰囲気は特別でした。見知らぬ同士が、肩を組んで「コージ、コージ」と声援を送のです。

やな予感が的中、センター前に抜けるクリーンヒット。当時センターを守っていたローンは強肩外野手で、2塁走者の三村敏之が本塁へ突入すると矢のようなバックホーム。タイミングは完全にアウトでしたが、キャッチャーの新宅は送球が三塁側にそれたことによって、タッチが走者の三村の顔面に殴るつけるように入ってしまい三村が転倒しました。

このゲームは地元のおらの大事な選手三村

この三村敏之は、チームの生え抜きで温厚で知られていました。広島ファンにとって、大事な存在だったのです。そして、乱闘が始まりましたが、一度は落ち着き沈静化すると思われましたが、広島ファンが次々とフェンスを乗り越えグランドへ降りてきてしまいました。

たちまちドラゴンズの選手を襲い、殴る蹴るの暴挙。広島の選手も、この異常事態に必死で中日の選手を守りました。特に、ホプキンス、シェーンの両外国人がベンチ裏に通じる扉の前に仁王立ちし、暴徒たちをたちは入れなかったことが被害を最小限に食い止めた大きな理由でした。

余談ですが、この中にタレントの風見慎吾がいました。風見は中日ベンチになだれ込んで星野仙一に砂をかけたと、テレビで語っていました。

立ちはだかった外国人

その後も球場の正面にファンが2000人集まり大混乱。翌日の試合は広島代表の重光良典が「自主警備に自身がもてない」と試合中止を発表して悔し涙を流しました。

ドラゴンズは大島康徳をはじめ10人が負傷し、全治10日の負傷をしたコーチもいました。

厳戒態勢の中で12日のジャイアンツ戦に勝利した古葉監督は「いろいろ気を使って疲れたが、後は、勝ち続けるのみ。ファンもそれを喜んでくれるから」と決意を語りました。

そして、広島の初優勝は10月15日の後楽園のジャイアンツ戦でした。

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