黒い肌をこすり落とす事件
ブライト健太42の背番号は、メジャーリーグ初の黒人選手ジャッキーロビンソンの背番号にちなんでいます。
ドジャースが発掘したジャッキーロビンソン
ドジャースのGMブランチ・リッキーが、大学で野球部のコーチをしていた時の事。ある優秀な黒人選手がいました。しかし、対外試合に出かけた時に、黒人だという理由でホテルの宿泊を拒否されてしまいました。ブランチ・リッキーは支配人に頼んで簡易ベットを自分の部屋に入れてもらいましたが、その晩夜遅く、トーマスが両手をこすり合わせ、まるで黒い肌をこすり落とそうとするかの様に、泣いているのを見ました。
泣きながら黒い肌をこする…
「黒い肌、黒い肌」と言い「この黒い肌を白くすることが出来たら」。この光景を目撃したことでリッキーの心は大きく動きました。
ブランチ・リッキーは不文律の黒人選手を入団させるのにふさわしい時期が来るのを、ずっと待っていました。
そして1947年ついに、ジャッキーロビンソンが現れたのです。
他にも優秀な黒人選手はたくさんいましたが、人格、野球以外での立ち振る舞い、嫌がらせに耐えられるだけの精神力が必要でした。
チームを一つにしたロビンソン
当初はチームメイトさえも受け入れてもらえず、中には、一緒にプレーしたくないと嘆願書を書く者さえもいました。しかし、彼はプレーで答えてみせたのです。
アグレッシブで積極的な走塁。ビーンボールを投げられても、セカンドへの危険なスライディングを受け、血を流しても、相手チームからの一体となった汚いヤジにも耐えました。相手チームの汚いプレーに対して真摯に向って行く、そんなロビンソンの姿を見て、いつしかドジャースの選手達が一体となりチームメイトとして受けたのです。
最初のシーズンの成績は打率.297 12本塁打 29盗塁でこの年から正式に制定された、初代新人王に輝きました。
背番号を継承するブライト
幼少期は、同じように人種差別を受けたと言います。しかし、ガーナ人の父親と日本人の母親を持ち、混血の地は恵まれた身体能力を生むと言います。
その、稀に見る恵まれた体で、長年の懸念であったドラゴンズの貧打を救って欲しいですね。