伝説の名選手ジョー・ジャクソンを目指せ根尾昂

このキャンプで中村打撃コーチのもと素足で打撃練習を行っている根尾選手。素足だけに目指すはタイプ的にはジョー・ジャクソンがピッタリではないでしょうか。ベーブルースの時代より、より少し前に活躍し4割を記録したこともある安打製造機です。

素足で守った伝説の名選手

ジョー・ジャクソンは若い頃、マイナーでのとある試合で、靴を脱ぎ捨ててしまいました。

新しいスパイクを履いてプレーしていたジャクソンは、プレーをするとすぐに靴ずれをおこしてしまい、脱いでしまったのです。古いスパイクに履き替えましたが、痛みが取れないのでそのままプレーをしました。そこでつけられたニックネームが「シューレス」素足のジャクソン。シューレス・ジョー・ジャクソンと呼ばれるようになりました。

出典 Wikipedia Public domain

イチローが年間最多安打のメジャー記録を塗り替える時に、ジョージ・シスラーの記録257本を抜きましたが、その前にこのジャクソンの記録が出てきたので知ってる方も多いはず。

映画の準主人公

私がこのシューレス・ジョー・ジャクソンを知ったのは、映画「フィールド・オブ・ドリームス」がきっかけでした。主演はまだ売れない頃のケビン・コスナー。彼が天から「そこへ野球場を作ると彼らがやって来る」と言う声を聞いて、トウモロコシ畑に野球場を作ると、亡くなったシカゴ・ホワイトソックスのメンバーが現れるのです。それがなんと、楽しそうに野球場でキャッチボールをはじめるのです。このキャッチボールの表情が好きでした。

その中のメンバーの1人がジョー・ジャクソンでした。

映画では、スマートで端正な面持ち、右打ちの外野手でしたが、実際は左打ちで、野性的な風貌をしています。

実働13年間で、生涯打率はなんと.356厘を残し史上第3位の記録。

ブラックソックス事件

ただし13年間と活動期間が短かったのは、「ブラックソックス事件」という歴史的スキャンダルに巻き込まれ、引退を余儀なくされました。

ジャクソンが活躍していた1910年頃、当時のメジャー選手の最低保証額は2000ドル。ジャクソンの様なスターで5000ドルの年棒は安過ぎました。それでもプレーに精彩がなくなる事はなく、2011年には打率.408で最後のシーズンは.382厘の高打率を残していました。しかし、同時期にタイ・カッブがいた為にタイトル獲得には至っていません。

嘘だと言ってよジョー

永久追放の原因となった1919年のワールドシリーズはボストン・レッド・ソックスとの対戦で圧倒的に、シカゴ・ホワイトソックスが有利と言われていました。

しかし、この「大リーグで最も強くて、最も給料が安いチーム」のホワイトソックスのナインは八百長を持ちかけられてしまいます。ジャクソンも金銭を受け取ってしまいますが、本人は後で返すつもりだったと、このワールドシリーズは全力でプレー。

32打数12安打、1ホームランで打点6の成績を残しました。しかし、八百長疑惑は晴れず、他の7人の選手と共に残念ながら永久追放となりました。

法廷を後にするジャクソンに向って「嘘だと言ってよジョー」と1人の少年が叫んだエピソードが残っています。

球界を追放されたジャクソンは、サウスキャロライナの小さな町でひっそり暮らし、洗濯屋を開業しました。彼の姿は時折、草野球で見られたそうです。その手にはブラック・ベッツイの愛称で親しまれたバットが握られていました。

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