松坂大輔とドラゴンズ
2021年10月19日、平成の怪物、松坂大輔が引退しました。
日本ハム戦で、近藤健介選手との1打席での対戦でしたが、5球とも、全部高めに抜けるボールで、わずかにストライク1球のみの痛々しい投球を披露。
いかに、ぼろぼろになるまで、燃え尽きたかが分かる引退試合での松坂の登板、最後の投球でした。松坂大輔選手、本当に長い間お疲れ様でした。
ドラゴンズ対松坂の因縁
2004年の西武ライオンズとの日本シリーズ第2戦で、松坂大輔が先発しました。
ドラゴンズが3点を追いかける試合となりましたが、立浪和義が劇的な同点スリーランホームランを放ち、その後も追加点を取り、この試合は逆転勝ちを収めました。第6戦では2度目の先発登板をして、8回2失点で勝利投手。そして、続く第7戦も、連夜のリリーフ登板をして、勝ちに繋げリベンジ。
結局、ドラゴンズが西武ライオンズに敗れた、悔しい日本シリーズとなりました。
胸が躍った松坂の獲得
2018年から2019年のわずか2年間ですが、松坂は我がドラゴンズにやって来ました。
あの頃、まさか、あの平成の怪物が名古屋にやって来るなんて、夢にも思っていませんでした。久しぶりに、わくわく感のある、選手がドラゴンズにやって来ると胸が躍りました。
松坂は、日本球界に復帰し、ソフトバンクに在籍しましたが、1勝もあげないまま、3年間を過ごし、そのまま退団しました。その当時、ドラゴンズの監督は森繫和でしたが、この森は、松坂が西武に入団した時のピッチングコーチでした。お互い、気心が知れている間柄だったのです。その縁で、2017年の暮れに水面下で交渉が行われていました。
室内練習場でのテスト
そして、2018年の春のキャンプが始まる前に、当時、ドラゴンズの森繁和監督が松坂を、ドラゴンズの室内練習場によび、ピッチングをさせて、首脳陣が獲得を決めました。
この時の地元のラジオに出演し、森繫和投手コーチは、もう松坂のピッチングは、1軍に上がれるだけの期待感のもてるもの、をみせてくれた、と答えていました。
松坂のドラゴンズ初勝利
ナゴヤドームでの4月30日の横浜DeNA戦で、日本球界復帰後3度目の先発。
6回を3安打に抑えましたが、四球をなんと8個も出し、押し出し四球で1失点を与えましたが、要所を抑えて見事、勝利投手となりました。この勝利は、日本球界で4241日ぶりの勝利となりましたが、こんな選手は他にいません。四球8個の出したら、普通は負け投手になるはず。もう往年の150キロを超える速球は投げられません。幾度ピンチを迎えても、経験豊富な打者との駆け引き、微妙に変化するカットボールを駆使して勝利に結びつけました。
凱旋登板の結果はまさかの
6月の西武ライオンズとの交流戦では、メットライフドームで凱旋登板を果す予定でしたが、体調不良で急遽、登板回避をしました。
その代役として藤島健斗が緊急登板し、6回、9安打を打たれながらも2失点にまとめて、プロ初勝利を挙げました。ちなみに、この件で、ドラゴンズ以外の野球ファンに藤島投手の名前を知ってもらう、きっかけとなりました。
「あの、松坂の代わりに先発して、プロ初勝利になった選手ね」と…。
ソフトバンクでわずか1試合しか登板が無く0勝だった選手が、ドラゴンズにやってきて、シーズン6勝4敗、そして、オールスタにもファン投票で選出。この年、見事、カムバック賞に輝きました。
残念ながら、翌年の春の沖縄キャンプ中の移動の時に、ファンから手を引っ張られて肩を痛め、その怪我が原因と思われる不調で、2年目は1軍登板が無く、結局この年の暮れ退団となり、古巣、西武ライオンズに戻ることになりました。
しかし、残念ながら1軍の上がる事はありませんでした。
夢を与えてくれた松坂大輔
松坂が、ドラゴンズに残した功績は大きい。若手の小笠原、もはやエースとなった大野雄大、柳裕也等は、松坂とキャッチボールから教わり、投球術、打者との駆け引きなど、松坂から吸収したものは計り知れません。
松坂がドラゴンズにいたのは、わずか、2年間でしたが、私達ドラゴンズファンにも、夢と感動を与えてくれました。
そして、今、現在は朝日テレビの報道ステーションの解説者として第二の人生をスタートしました。解説者も怪物ぶりを発揮できるか…。