ジャイアンツとの最終決戦10.8の思い出
1994年、あの時私は東京で生活をしていました。
埼玉から西武戦に乗って、高田馬場で乗り換え山手線に乗り換え、新宿から中央線、総武線で通勤していました。いつも片手に東京中日スポーツ。満員電車の為、読んでいる途中で文句を言われることも…。
左腕2枚エースと強竜打線
この年は、前半、下位に低迷。そして、高木守道監督の解任報道の噂もあり、ドラゴンズは全くいいところがありませんでした。ところが、9月に入るや否や、突然、連勝街道を突き進み、9連勝、6連勝であっという間に首位戦線に躍り出てきました。
この頃のドラゴンズは、今では考えられないほどの、強打のチーム。強竜打線と呼ばれる、打線を売り物にし、今中慎二、山本昌、の2人左腕エースが君臨していました。
最終決戦の2カード前の神宮球場でのヤクルト戦に観戦に出かけました。
この試合は、粘りをみせましたが、惜敗。レフトスタンドにドラゴンズファンが大勢集まり、お互い知らない物同士が応援歌に口を合わせる。ライトスタンドのスワローズの応援を圧倒していました。東京にもドラゴンズファンがこんなにいるなんて。
9月18日の時点で5ゲーム差をつけてジャイアンツが首位でしたが、残りゲームをジャイアンツが3勝5敗、ドラゴンズが9勝1敗でついに最終戦を迎えて、同率首位で並びました。ドラゴンズナインがグランドを去るときに仁村徹がグランドに1礼した時に何故か涙が出ました。
私は寮に住んでいましたが、急遽、実家からポータブルテレビを取り寄せ、この最終決戦は休みを取り準備万端。
地の利と勢いでドラゴンズ有利
ジャイアンツの先発は槙原、ドラゴンズはエース今中。マスコミ各社は、地の利がある事と、今中がこの年、ジャイアンツ戦は負けなしで、ドラゴンズが有利と報道。試合前から、グランドと客席が近いナゴヤ球場は、熱気に包まれていました。
1塁側のベンチ上の客席には、イチローが焼きそばを食べる姿も、画面に映りました。ジャイアンツの先発槙原は、ドラゴンズにとって組やすしの相手。槙原はこの年、0勝1敗でドラゴンズ戦の防御率は4.91。
その通り、ドラゴンズは初回から槙原に襲いかかりますが、拙攻のオンパレード。チャンスがありながら併殺などで得点とはなりませんでした。均衡を破ったのは、ジャイアンツ。奇しくも前年FAでドラゴンズから移籍した落合博満が今中から得意の右中間へホームランを放ち先取点。
ドラゴンズも、槇原からやっと1点を挙げ同点にしましたが、村田真一に得意のカーブをホームランにされるなど、いつもの様な今中慎二のピッチングではありません。
最近、you tubeでいろんな野球選手のチャンネルを拝見しましたが、どうやら今中のクセを見破れていたようです。実際に打たれた今中も、この時、「まさに、カーブを待っていてもあんなに上手くは打たれない」と語っていました。
ジャイアンツのスコアラーが、前日に「グラブの角度で球種が分かった」と。
長嶋監督が桑田を部屋に呼んだ謎の檄
また、長嶋監督が前日、桑田を部屋に呼んで、「明日は、しびれる場面で行くからな」とパジャマのボタンを掛け違えながら言葉をかけられた、(笑い)と語っています。しかも、ホテルの部屋は、あちらこちらに衣服が散らばっていたそうです。
ドラゴンズが1アウト1.3塁の同点のチャンスを向かえましたが、水野がピンチの場面でリリーフ。パウエルに対して、初球インコース高めにストレートを投げると、計ったようにシュートゴロとなり、ダブルプレー。流れはジャイアンツに向いたまま。
水野の後は、斎藤を挟んで、しびれる場面で登板の桑田がリリーフ。
幻のホームラン
一方ドラゴンズの方は、今中が5失点でまさかのノックアウト。その後も、山本昌を準備することもなく、山田喜久夫が松井からタイムリーツーベースを打たれ追加点。この打球は、バックスクリーン方向に飛びましたが、小雨が降って靄がかかり打球が見づらくホームランの様に、見えました。
9回、最後の打者小森を空振り三振に取り、桑田が、ガッツポーズ。6―3でジャイアンツがこの歴史に残る大一番を制しました。
ドラゴンズが下馬評は有利だったにもかかわらずドラゴンズが敗戦。
今中の投球が最大の原因ですが、序盤の拙攻が試合の流れを変えられませんでした。この試合は、歴史に残るベストゲームと言われていますが、ドラゴンズが負けたせいか、そのような感動はありません。それなら、川崎球場で行われた、10.19のロッテ対近鉄戦となるでしょう。
ちなみに、この終盤のドラゴンズの快進撃もあり、高木守道監督は続投となりました。