与田監督の思い出

1993年、私はその頃、転勤で大分のホテルに勤めていました。                             レストラン担当でしたが、そのレストランには、個室がありドラゴンズが試合後のミーティングで使用していました。

ピリピリした星野政権

第一次星野政権の時でしたので、選手はかなりピリピリした雰囲気がありました。

試合が終わってホテルに戻ると、当店の入り口に、選手が個々に放りだすよう荷物を、勝手に置いていき、個室まで走って行きました。そして何故か、勝ちゲーム後にミーティングはありましたが、負けゲームにはありませんでした。

その時に、ルーキーの与田剛を見かけました。正面から見る与田さんは、肩幅が異常に広く、テレビで見た身体が大きくガッチリしていました。                                                 言葉を交わすことはありませんでしたが、ルーキーだけに少し緊張していたようにみえました。この年も春のキャンプで足を故障して、出遅れていたのですが、やっと、オープン戦に合流していました。その頃、注目の野茂英雄はオープン戦で好投して脚光を浴びていました。

前に打球が飛ばない剛速球

翌日、休みを利用して、新大分球場に試合を見に行きました。相手は広島カープ。

この試合は、落合博満が注目されていました。この頃の落合は、一挙手一投足が注目され、この日も、マスコミ関係者が大勢詰めかけていました。                                                落合は、この時期はボールを見る事だけに集中するとし、鹿児島で行われたロッテとのオープン戦でも一度もバットを振らずにすべての打席見逃し三振をしていました。                                      ところがこの試合、あろうことか最初の打席でデットボールを受け、すぐに退場してしましました。            こうなると、お目当ては期待の新人、与田剛の投球となります。

そしてその時がやって来た

最初の打者は、広島の期待の若手、高選手。与田投手は自信満々の速球を投じます。電光掲示はいきなり149キロ。バックネットへのファウル。2球目、3球目もファウルがやっとです。そして151キロで三振。後続も同じように、ファウルばかりで打球が前に飛びません。結局。三者三振で、大分のファン、いや、野茂一色だったこのオープン戦にドラゴンズに与田あり、とばかりに剛速球を披露しました。

次に与田剛の投球を見たのは星野監督の第二次政権時代。

相手は横浜ベイスターズとの一戦でした。敗色濃厚のイニングの後半に登板。もうこの頃は、肩、肘に故障を抱え、ドラゴンズ在籍の晩年でした。

打席にはブラッグス。シンシナティ・レッズの4番を打ったこともある、バリバリのメジャーリーガーでした。       カウントは忘れましたが、ブラッグスへの直球が手元が狂って、肩口付近へ抜けました。デットボールにはなりませんでしたが、この投球にブラックスが激怒。                                         マウンドに突進すると、与田投手に襲いかかり、選手が入り乱れての乱闘になりました。この件で、当事者2人が退場となりましたが、与田投手がベンチに戻るときに、グラブを思いっきりベンチの壁に投げ付けたシーンが、思い出されます。

結局、この年でドラゴンズを去り、日本ハム、阪神タイガースへと移籍することになりましたが、あのルーキー時代の輝きは取り戻すことは出来ませんでした。

そして、再びドラゴンズのユニフォームを着ることになるのは、監督として就任した2019年のことです。

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