藤井淳志が引退

記憶に残る選手

藤井と言えば、とんでもない大仕事もするがポカも多い、印象に残る選手です。

思いっきりの良いバッティング、俊足、広い守備範囲、そして外野からの低い送球が特徴の強肩。三拍子揃ったドーム向きの選手でした。

私の藤井選手の思い出は、2006年ルーキー時代の開幕戦2戦目の広島カープ戦での試合。

2番センターで出場して、山崎浩二が放った、左中間への打球にダイビングキャッチをして勝利をもぎ取りました。このプレーは翌日の中日スポーツに大きく写真で掲載され、感動しました。

スイッチヒッターを取得

プロに入ってからスイッチヒッターになりましたが、あてに行くバッティングではなく、フルスイング。そして。時折見せるここ一発でのホームランは魅力的でした。

2009年には、打率.299 本塁打10 打点49の好成績を残しますが、シーズン終盤に和田選手と交錯し、肋骨を骨折し登録抹消。残念ながら、規定打席にわずか8打席不足して届きませんでした。この年がキャリアハイで、好調時が続くと故障が付いてくる不運な選手でした。

地元のヒーロー

そして藤井と言えば、なんと言っても地元豊橋での凱旋試合。

2014年には、豊橋市民球場で、途中出場ながらサヨナラホームランを放ち、翌2015も、終盤に逆転スリーランを放ちました。

この年の広島戦でも、延長12回の裏 ツーアウトランナーなしのホームランしかない場面で低めの難しいボールをライトスタンドへサヨナラホームランを打ちました。

他にも、森野将彦の引退試合でサヨナラヒットを放ったり、自分の子供が誕生した日に、サヨナラヒットを打ったりと、とにかくやることが派手でアンビリーバブルな選手でした。

悔いの残る選手

落合監督時代は、守備で送球ミスを何度もやらかし、懲罰交代もありました。落合監督は大雑把な選手を嫌い、藤井は才能がありながらも、試合に出る機会を奪われました。

与田監督とも、昨年の2020年のオープン戦で、4打数1安打を放ちながらも、2軍落ちしたことに納得できず、不満をぶちまけたり、この年の酒宴で年下の選手に説教をして、SNSで動画が拡散されパワハラで騒がせたりと野球以外でもいいことがありませんでした。

それでも、腐らずにここ2年間は1軍に上がらず、ずっとファームの試合に出場を続けていました。

もし、この藤井選手を使いこなせる監督がいたなら、彼はドラゴンズの歴史に残る、一流選手になっていたでしょう。

超人的なポテンシャルを持ちながら、自分の力を出し切れないまま、野球人生を終えました。

完全燃焼できなかった悔いの残る選手です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です