神主打法を真似たゲーリーレイシッチ
1986年に来日。広島に在籍した投手デーブ・レーシッチの実弟。 このお兄さんの方は、ピッチャーでした。もうずいぶん前のことになるので、右投手という事くらいの記憶しかありません、記憶にないという事はあまり活躍していない選手だったと言うことですね。
テーマは「狙い撃ち」
「ゲーリー、ゲーリーホームラン~♪」山本リンダの、「狙い撃ち」のテーマに乗ってホームランを連発した助っ人。実は夫人の名前がリンダとの事でこの応援歌になったとか…。 来日当初は、ホームランを連発し、前半戦の6月まではあの、ランディ・バースと20本でホームラン争いを繰りひろげていました。当初は典型的な引っ張り専門のプルヒッターでした。
日本の投手のインコース攻め
しかし、日本の投手の攻め方が変わると成績が急降下。インコースのボールを打つと、当たりは会心ですがファウルばかり。ファウルを打たせてカウントを稼ぎ、低めの変化球で三振または、ゴロを打たす。あまりにもファウルばかりになるので、自身が無理やり、グランド内に飛ばそうとして悪循環に陥りました。 この攻め方一辺倒で、後半戦に入ると打てなくなりました。それでも、打率こそ251厘でしたが、36本塁打を放ちクリーンアップの一角を担いました。
神主打法をで打撃が開花 翌年の1987年に大型トレードで、ロッテから落合博満がドラゴンズに入団すると、神主打法を真似て、打撃が開花。 105三振だったのが、51三振に減り、打率317、ホームランも24本放ち、落合が不調になると代わりに4番を務めました。 88年は打率293、16本塁打、53打点の成績。腐肉にも、確実性が上がると同時に、打球が上がらなくなり長打が減り、助っ人としては迫力不足でした。 しかし、リーグ優勝に貢献。この頃は宇野勝、二村徹、彦野利勝、川又利一らが在籍し、恐竜打線と恐れられていました。今では恐竜打線は死語となってしまいました。
しかし、この頃から、ゲーリーは脇腹を負傷し、欠場することが多くなります。
広島戦のとある試合で、脇腹痛でスタメンを外れていましたが、終盤のチャンスに代打で出てきたことがあります。相手は抑えのエース、津田恒美。もう、この試合後に2軍に降格することになっていたのです。 万全ではない身体で、150キロを超える速球に降り負けず、くらいついていく姿に感動しました。結果は三振でしたが、彼のファイティングスプリットを感じたシーンでした。
映画俳優の様な風貌で、「ミスターベースボール」という映画か公開されていましたが、この主人公を地で行くような助っ人でした。日本野球を吸収し、それに適応したダンディな髭づらのゲーリーレーシッチ。
モッカ同様忘れ慣れない外国人です。