ケンモッカ

最後の試合で、チームメイトから胴上げされた唯一の助人。

ヘッドコーチであるジム・マーシャルが2年越しで獲得した助人。当時の私の記憶では、長打力に疑問符があるような記述が、中日スポーツ誌にありました。(現に大リーグでは通算1本塁打しか放っていません。)

来日後、チームに溶け込むために、遠征先では個室ではなく、選手と同じ大部屋を望み、また、将棋、麻雀を覚えました。私生活でも、箸を巧みに使い、きしめんが好物。日本の野球に溶け込む為には徹底的に努力をしました。

初年度の82年に、主に3番を任されて打率311 本塁打23を放ちリーグ優勝に貢献。

来日当初は、多くの外国人のようにインコースのボールに苦しんでいましたが、外のボールは上手くライトへ流し打ち、インコースも少し甘くなればスタンドまで運ぶパワーをもっていました。守備は強肩で堅実でしたが、守備が狭く、イニング終盤は守備固めで交代していました。

当時の足木外相担当によると、実は大変、プライドが高く、交代の時はいつも不服だったようです。

キャリアハイは84年 打率.316 打点93 本塁打31で勝負強い打撃で勝利に貢献。

しかし、翌85年は 打率は.301を残しましたが、長打力に欠け、また守備で足を引っ張るケースが多く、この年でドラゴンズのユニフォームを脱ぎました。3年連続3割を打ち、勝負強い打撃で私達、ドラゴンズファンを熱狂させてくれました。

通常の外国人であれば、解雇が決まった時点でアメリカに帰国する選手がほとんどですが、直訴してシーズン終了まで残りました。最後のの試合は巨人戦でしたが、ここでも簡単なサードゴロを捌ききれずにエラー。しかし、この試合の終了時にナインから胴上げされたシーンは忘れません。この時、スタンドでも泣いてるファンがたくさんいたそうです。

当時、ドラゴンズ情報という番組が8時50分頃からあり、司会の水野智代子アナウンサーが泣きながら伝えてくれて感動しました。

引退に当たっては、谷沢健一にもっとうまく送球を捕ってくれよとばかりに、蝉捕り様の網をプレゼント。上川誠一にはスタミナドリンク、大島選手には「首が危ない」と、おもちゃの刀を渡すユーモアもありナインはともかく、ファンからも愛されました。

ケン・モッカは紛れもなく、ドラゴンズ歴代の超優良外国人選手でした。

出典 Wikipedia Public domain

帰国後は、メジャーリーグ、アスレチックスの監督を3年務め、そのうち2回は地区優勝。その後、ブリュワーズの監督も務め、現在は、大学で野球を指導しているそうです。

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