陽気なプエルトリカンレオゴメス
陽気なプエルトリカン。1997年に来日すると、ベイスターズ戦で、盛田幸妃から初打席でいきなりライトへタイムリーヒットを放ち、期待を抱かせました。
その通り、初年度は広いナゴヤドーム元年で、4番三塁手として活躍。31本塁打、81打点で4番の働きをしてくれました。守備は、俊敏ではありませんでしたが、強肩が落ち味で、守備に走塁にアグレッシブなスタイルで勝利に貢献しました。
普段は陽気で気さくなチームから愛されるキャラでしたが、クリスチャンで試合前のロッカーでは物静かに聖書を読んでいました。将来は牧師になるのが夢だったそうです。
勝負強く、左膝痛で登録抹消が空けた98年7月8日のヤクルト戦では、得点機にことごとくタイムリーを放つと、8月12日から22日まで10試合連続打点をマーク。頼れる4番で気を吐きました。ナインからは、「ゴメちゃん」と呼ばれ親しまれ、ムードメーカー的な存在でした。
99年には、本塁打36本、109打点を放ちましたが、特に巨人戦では13本塁打。
しかも、同点、逆転、など印象に残る貴重な本塁打が多く、この年は桑田投手をカモにして5ホームランを放ちました。
ゴメスの特徴は、打ち出すと止まらないタイプ。そして、打てなくなるとからっきし打てなくなる。ホームランバッターにありがちな、引っ張り専門で、三振が多いわけではなく、広角に打ち分ける柔軟性もありました。
つまり、ビシエドに近いと言った方が分かりやすいでしょう。
1999年に自己最高の成績を残し、リーグ優勝に貢献。
その後の日本シリーズでは投手力を中心とした守りのドラゴンズでは、4番ゴメスは徹底的にマークされ、王監督率いるダイエーに日本一を奪われました。
しかし、2000年に、脚、膝の故障、家族との時間を大切にしたい、との理由で退団。
とこらが、新たに獲得した外国人、ティモンズ、ティム・アンローが不振に陥ると、シーズン途中で来日し復帰。故障を抱えての復帰で本職のサードではなく1塁手として出場。
年齢的な衰えもあり残念ながら16本塁打、打率.267を残しましたが、2002年に惜しまれつつ退団しました。
しかし、強打の内野手としてファンの記憶に残る外国人選手に違いありません。
在籍期間 1997年~2002年 実働6年 成績 打率.293 153本塁打 449打点