2日続けて先発した若き星野仙一
星野仙一がプロ一年目の出来事。
王、長島の2枚看板の全盛期の巨人相手に先発し、序盤で打ち込まれ大差で負けた事がありました。
明くる日、ピッチングコーチの河村保彦が頭を抱えて、当時、監督だった水原の元へやって来る。「監督、星野が、今日も先発で投げさせろ、と意気込んでいます」 通常、前日先発だったピッチャーは上がりで、本来はグランドに足を運びません。ところが、何故か、星野がグランドで投球練習をしていたのです。
監督の水原は即答しました。 「だったら、行かせればええやないか」
プロ野球を代表する大監督
水原監督は、この年からドラゴンズに招聘された
水原は、戦前選手として活躍し、終戦後、戦地から戻ると巨人に監督として復帰。巨人の黄金時代を作った名実ともに、戦後のプロ野球を代表する大監督だったのを、ドラゴンズが招聘したのです。
異例の連続先発
前日先発で投げたピッチャーが、2日連続先発で投げるなんてことは、現代野球では考えられません。いや、その時代でも、よほどのことが無い限りほありませんでした。 しかし、若き星野は居ても立っても居られませんでした。よほど、前日打ち込まれたことが悔しかったのでしょう。何しろ、打倒巨人に執念を燃やした人物です。 そして、この日も、口惜しさを糧にジャイアンツに気持ちを前面にして向っていきました。 前日とは違い見違える様なピッチングで、絶対王者巨人のバッターを次々と討ち取っていく。
しかし、好投も虚しく、味方打線の援護もなく、またもやあと一歩のところでジャイアンツに敗れてしまったのです。
試合後、星野は、精根尽き果てベンチ裏の通路で一人うなだれていました。
水原のぬくもり
そこへ、水原監督がやって来たのです。 そして、ベンチの横に座り星野に「すっと」握手を求めた。「いいか星野、やられたらやり返せ¦今のお前のその気持ちを絶対忘れるな、」
その年期の入った「しわくちゃ」な手のぬくもりを星野はずっと大切にしていた。
このゲームが代名詞の燃える男、巨人キラーと呼ばれる星野仙一の原点となった。